先日、このような本を買いました。
『
シーボルト 日本植物誌(大場秀章 監修・解説)』
ちくま学芸文庫の一冊です。
原書の翻訳ではなく、原書に収録されていた全151図版を縮小収録の上、大場さんが現代の知識に照らして解説を行われた『現代の植物誌』となっています。
ああ、でも、収録されている図版の一々が、なんて綺麗なんでしょう。
カラー写真でも何でも検索すれば幾らでも見ることができる現代日本人の私が、これほど感動するのですから、当時のヨーロッパ人が受けた衝撃と熱狂はどれほどの物があったのでしょうか。
ところで、シーボルト。
名前は当然、知っています。むしろ、日本人でシーボルトの名を聞いたことがない人の方が少数派でしょう。ですが、何をした人かと聞くと、途端にしどろもどろになる。
オランダ商館の医者、山オランダ人(笑)、シーボルト事件という断片的な物ではないでしょうか。まあ、これはシーボルトに限った事ではなく、歴史の教科書に載っている偉人というのは名前だけは記憶に残っているが、その業績までは案外、覚えていない(あるいは教わらない)ものです。
私も、多分にもれずそう詳しいわけではないのですが、この本で事前知識として語られたシーボルトの来し方に感銘を受けました。
かいつまんで述べると、当時、オランダは、ヨーロッパの国としては唯一、日本と交渉を持ってきたにも関わらず「ヨーロッパは日本についての知識に関して、オランダ国民に何ら負う所がない」と「経済活動一点張りで、文明的には二等国である」と英仏をはじめとする諸国に馬鹿にされていたらしいです。
そんなこと言われると悔しいですよね。
だから、オランダ政府は考えました。他国を見返してやるのだ。それには日本に関する総合的情報、博物学的知見を早急に、それも体系的に得なければならないと。
そこで白羽の矢が立ったのが、シーボルトでした。そして、彼の業績は、当然、彼個人の資質と情熱の賜物ではありますが、それもオランダという国、長崎商館という後ろ盾があったからこそ成立した国家事業でもあったのです。
シーボルトは、長崎に診療所を兼ねる蘭学塾「鳴滝塾」を建てましたが、そこには代々の商館長が培った人脈と政治的手腕があったようです。
そこで講義はオランダ語で行われたようです。シーボルトがオランダ人(という触れ込みのドイツ人)であり、蘭学の学問語がオランダ語である為に当然であり、生徒の方がはっきりいってシーボルトよりオランダ語が上手かったりするので問題がなかったようですが、それには隠された目的がありました。
そして、その目的に私は大変、感動しました。
シーボルト来日の目的が、総合的な日本の情報を得ることであるのは先ほど述べた通りです。ならば、どうすれば良いのか、彼らは考え抜いたのです。そして、こう結論付けました。「日本人自身に書いて報告させれば良い(それもオランダ語で書いてもらえば万々歳だ)」と。
現在でも、博士論文や卒業論文ってありますよね。それをシーボルトは塾生に書かせたのです。オランダ語で。おまけに、シーボルトの帰国後も、それはオランダ商館経由で送られたようです(少なくとも、そういう約束がなされた)。
鳴滝塾で学んだ人々は、日本各地から集まった当時一流の知識人です。和漢に通じ、オランダ語を自在に使いこなす蘭学者が、先生の期待に応えよう、学位を得ようと本気で取り組んだ論文、標本です。その精度は推して知るべしと言ったところです。
学位・免状という形で名誉心を刺激しつつ、講義と論文を通して、日本の情報を翻訳を経ずに得るという、考え抜かれた実にスマートなやり方に、本当に感心しました。